汚らわしい行為

セックスについて考える時、これが汚らわしい行為であるという印象を持つ。
しかしその汚らわしい行為が子供をこの世に誕生させるのである。
汚らわしい行為で生まれた子供も、やはり汚らわしい存在だろうか?
子供に関しては汚らわしいというイメージは無い。
「天使」とか「この世の光」とか「未来の希望」というイメージが有る。
「人間の希望」というイメージである。
子供が誕生しなくなれば、人類は滅びてしまう。
子供が誕生し、人類を存続させ、世の中を運営し、世の中を変えていくのである。
子供は新たに世の中を見て、さまざまな印象を受け取り、その中で新しい動きを示すのである。
このように、子供というものには「汚らわしい」というイメージはない。
では、その子供を産む、セックスという行為は、本当に汚らわしいのだろうか?
男でいうと例えば精液である。
精液は汚いものだという印象を持っている。
空間を汚すものである。
汚らしいものだ。
そんなイメージを持っている。
しかし、その精液が子供を作るのである。
そして子供は決して汚らしい存在ではない。
天使のような存在である。
では精液は汚らしいものではないというのだろうか?

セックスは汚らしい行為である。
しかし男の場合、セックスは一人ではできない。
セックスは女とするものである。
そしてセックスをしたいと思う女は、汚らしい存在だろうか?
そうではない。
美しい存在である。
男は美人が好きなのだ。
美人とは美しいものだ。
美しい肌、美しい髪、美しい顔立ちが、男に欲望を起こさせる。
セックスという汚らしい行為の相手に、美しい女を求めるのはなぜだろう?
汚らしい行為の相手であるならば、汚らしい女を求めるのはないだろうか?
セックスの相手は汚らしい淫らな悪女の方が良いというイメージもある。
あまり清純すぎる女では欲望は起こりにくいということだ。
だがその淫らな悪女は美人ではないだろうか?
そうではない。
淫らな悪女はブスではいけない。
やはり美人なのである。
美しいのだ。
つまり結局、男はセックスという汚らしい行為の相手に美しい女性を求めているのだ。

そう考えると、男は美しいものが好き、ということも言えそうだ。
おそらく女も同様だろう。

セックスという汚らしい行為の相手に、美しい相手を求める。
それは少し不思議なことのように思える。

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